2011年3月
私はサンフランシスコのダウンタウンに一人暮らしをしていた。
アメリカ時間2011年3月10日木曜日の夜、電話がなった。
「日本が大変!家族は大丈夫?」
アメリカ人の友人からの電話だった。
私の住むStudioと呼ばれる住居には
最小限のものしかない、
テレビもネットも繋いでいない。
携帯も話すだけのもの。
インターンシップ中の身分の私にはちょうど良いが、情報収集することができない。
「大丈夫だと思う。地震はよくあるから」
そう言って電話を切った。
翌朝、
身支度をしてコーヒーを買いに行く。
コーヒー屋さんで並んでいた男性に、
「日本人?お金を寄付したいけど、どこにすればいいか?」と100ドル札を渡されそうになる。
ここはサンフランシスコのど真ん中、金融街。お金持ちが大勢いるけれどこんな経験は初めてで、ことの重大さを知る。
職場へ行くと、すぐにインターネットで日本の状況を調べる。
息が止まりそうになった。
それからどのようにその日を過ごしたのか分からない。
夕方前に職場を出て、
フェリー乗り場に並んだ。
金曜日は週末を彼と過ごすために
サンフランシスコを離れる。
目の前の海を眺めながら
涙が込み上げてくる。
すると前方から
一人の白人のお爺さんが私の前にやって来て、
私にこう伝えた。
「私は戦後の日本を知っている。
日本はアメリカが予想したよりも
遥かに早く発展した。
我々の想像以上の復興だった。
そんな国はどこにもないよ、日本だけ!」
そう言うと、お爺さんはにこっと微笑んで立ち去った。
…
返す言葉が見つからなかった。
ただただ
勇気づけられた。
見知らぬ方に素敵な言葉を頂いてしまった。
フェリーの中で今度は感謝の涙が込み上げた。