母方の祖母は明治生まれで、普段着は着物。
いつも白い髪を綺麗に結っていた。
どんな事にも動じず、私は祖母の涙を見たことがなかった。
大変な時代を生きてきたのだから、苦労話の一つでもあると思うのだが、そういった話をする事はなかった。
いつでも目は今日を見ていて、クヨクヨせずに前向きで、凛としていた。
人の話を聞くのも話すのも上手で、ちょっと面白い事を言うこともあって、そこが好きだった。
そんな祖母が、
90歳を過ぎて、大腿骨の骨折により身体が思うように動かせなくなった。普段着も洋服になった。
二十歳になった私は、振袖姿を祖母に見せた。
祖母は私が振袖を脱ぐ時に手伝いたいと言った。帯のくくり方がどうなっているのか知りたいと。
和室で、母が用意した椅子に祖母は腰掛け私の帯をほどきはじめた。
とてもゆっくりと。
あまりに時間がかかるので振り返って帯を見ると元に戻っている。
祖母は帯をほどいては戻し、ほどいては戻し、結い方を覚えているのだった。
若い人の帯はおしゃれね。
そう言いながら、仕舞いにはぷるぷると立ち上がって祖母は楽しそうに帯を眺めていた。
骨折して不自由になり、それでも、若い人の帯の結い方を知りたいと思う祖母の心意気に私は感服した。
それから数日後、私はサンフランシスコ留学に旅立った。旅立ちの日に祖母は私の手を握り、
「なんでも楽しくやりなさい楽しくなるから」
と魔法の言葉を持たせてくれた。
この言葉に私は今まで何度も救われている。
大きな事から小さな事まで。
そう今日だって、パンをこねながら下のマットが生地にくっつき、イライラするほどうまくいかなかった。んっ、もう!と投げ出したくなった。
そんな時に祖母が握ったこの手が、
なんでも楽しくやりなさいと声をかけてくる。
私は、マットごと床にパーンと生地を落として、両足でマットを支えながら思いっきり手で捏ねた。原始人の暮らしでみる生活風景の様な自分の姿がおかしくって笑ってしまった。
出来上がったパンはキメが細かく美味しかった。家族も笑顔。諦めなくて良かった。
楽しいと言う気持ちは人を最強にする。
なんでも楽しくやりなさい楽しくなるから
この言葉は私の中で生き続けている。