今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
おじいちゃんが亡くなった時に私はもったいないと思った。
命が尽きていくのをただ見つめながら、おじいちゃんのゴツゴツした大きな手を握り、私の心は身体から離れ、頭が3つに分かれてしまうほど混乱した。
12歳、初めての身近な人の死だった。
すぅっと命が燃え尽きた瞬間に、私は「もったいない」と呟いた。
金魚のフンと呼ばれるほど、おじいちゃん金魚にぴったりくっついていた私は、おじいちゃんとは好き以上の強い絆で結ばれていると感じていた。
もっとみんなにおじいちゃんを紹介したかった、自慢したかった。私のこれから出会う人たちにもおじいちゃんに会ってもらいたかった。そんな「もったいない」理由が後付けされたが、本当は何故もったいないと感じたのか分からない。
人に対してもったいないと感じるのも不謹慎な気がする。
でも、もったいないという感情だけが私の心を燃やした。
おじいちゃんはマイペースで、頑固で、怒ると怖くて、人好きで、言葉のセンスがよくて、お酒の席が好きで、ヘビースモーカーだった。昔は銀行員で忙しく働き、老後は野球と水泳を楽しみ、孫には猫可愛がりしなくてさっぱりしていた。
書き出してみると、いいところばかりではないけれど、ずば抜けて素晴らしいところが一つあった。
それは、誰にでも平等に愛情を注ぐところ。
博愛。
公園で鳩に餌をあげている知らないおじさんと私、どちらにも同じように話をする。同じ眼差しを向ける。幼い時はそれが時々寂しかったりもしたけれど、それがおじいちゃんの素晴らしいところだったと今は思う。
人にも、動物にも、草花にも、その目は等しく向けられた。
ここまで自然な博愛主義を貫いた人を私は他に知らない。
稀有な存在。
もうこの世にいないのが実にもったいない。