人と食

人と食のエピソード。笑って泣いてカリフォルニア。

こだわりを持たないこだわりを持つ。

今週のお題「下書き供養」

下書き供養って言葉が面白い!

私も一つ下書きの中から書いていたものを出します。そう、伝えなければ意味はないですからね。

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カリフォルニアで暮らしていると、

オーガニック、ビーガン、マクロビ、ロウフード、グルテンフリーなどたくさんの「食」に触れる事になる。

 

日本で家庭料理を教えていたことから、

専門は何ですか?と人に聞かれる事がよくあった。

「Home cooking」(家庭料理)と答えると、

マクロビ?などと、私がどんなこだわりを持っているのか続けて聞かれた。

「強いて言うならその人に合わせた料理」

と答えると、何それ!と笑われた。

 

みんな家庭料理に強いコンセプトを求めてくる。私にはコンセプトやこだわりはなかった。

せれでも一時期、このままでは子育てが落ち着いた時に仕事を持てるかな?と焦りを感じ、オーガニックやビーガンなどの勉強をした事がある。

もともと、失恋する度に資格に走る独身時代を過ごし、食の資格を取る事が好きだったこともあり学ぶ事に抵抗はなかった。

ただ、何となく自分にコンセプトをつけようと迷走し、勉強した。

 

しかし、

5年前の夏に大きなアクシデントが起きた。

3歳と1歳の男の子を育て、家を購入し、主人の仕事も順調で、何の不満のない生活にそれは起きた。

ウイルス性髄膜炎で倒れたのである。

夜中に頭が痛いなと思ったら、あっという間に吐気が襲い倒れてしまった。まだ次男に授乳をしていたので、いきなり断乳してしまった事で重度の乳腺炎も起こってしまった。

後で分かった事だが、他の病気も発症していた。

 

何日目か覚えていないが、

全ての光や音や香りが凶器に変わり、

寝室のドアの上に小さなドアが見えた。

開けたくて開けたくて仕方がなくて手を伸ばしていた。でも、手は届かなかった。

それから何日も何日もキッチンにいる夢を見た。

風邪などのすぐに治る病気の時は、家族や周りのことを考え心配できる。でも、自分の命がゆらぐ時、自分のことばかり考える私がいた。

自分が生かされている意味を考えた。

 

「私の頭の中にあるものは

私と一緒に消えてしまう」

この言葉が浮かんできた。

いくら頭の中に良いアイデアがあっても、それを誰かに伝えなければ、私の中から出る術はない。

これに気がついた時、ふと軽くなった。

私は、頭の中にあるものを何一つ伝えていないのに増やすことばかりを考えていた事に気がついた。

楽しい楽しい楽しい。

頭の中には様々な食のエピソードと楽しいアイデアがあった。

自分の使命とは食の楽しさを伝える事である。

とてもシンプルなことだった。

 

それから私は、

溢れたこだわりを引きずり歩くのをやめた。

抱えられるだけの小さな知識を抱いて身軽に歩いていくことを決めた。

自分の料理に対して、こだわりを持たないという、こだわりを持つことにした。

 

病気をして私の日々はまさに余生となった。

余生で子育てをして、お料理をしている。

いきなり笑っちゃうぐらい楽しくなる時がある。

私、生きているんだな!と思う瞬間で、

キッチンで流れる水を見て、綺麗だな有難いなと思い、水に浸かる野菜の美しさに涙を流す。

クレイジーな日々だが、私はとても気に入っている。

 

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