人と食

人と食のエピソード。笑って泣いてカリフォルニア。

40を過ぎて急に点と点が繋がり始めた。

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2年前に漬けた梅干しを開封した。

身はぐちゃっとしていて高級感はゼロだけど、しっかり酸っぱく、なんとも言えない懐かしい味がした。これは成功と言えると思う。

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このサラベスのジャム瓶も懐かしい。今はもう駐在生活を終えて帰任したご家族からの贈り物のジャムで、味わい切って梅を詰めた。

実家には梅の木があって、子供の頃は祖母と母が漬けていたけれど、手伝いをしたことがなかったので、この梅干しはこんな感じかな〜と作った令和の我流梅干し。青梅は頂き物。

最近、日々の暮らしが過去からの贈り物のように感じることが多い。

スティーブ・ジョブズ氏の有名なスピーチ"Connecting the dots"のようなことが実際に私にもおこっている。地位や名声もない凡人である私にも、ジョブズ氏と同じ気づきがおこり、はっ!としているのだから、これは気がついた人だけが得られる人生のギフトなのだと思う。

【補足「点と点をつなぐこと(Connecting the dots)」将来を予測して点と点をつなぐことはできないが、人生を振り返ったときに初めて、過去の経験や出来事が点としてつながることがわかるという教え】

 

40を過ぎて急に点と点が繋がり始めた。

本棚を整理していると、高校のパンフレットが目についた。15年ぐらい前に卒業生のインタビューを受けた時のものだった。手に取り開いてみると、一枚の紙が挟まっていた。

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四半世紀前の高2の時に書いた「将来の木」である。夢の木の中に「"フードコーディネーターになる" メリット、趣味がそのまま仕事になる」とあって嬉しくなってしまった。その通り!趣味の延長で自覚のない努力を添えて叶える事ができてしまった。そうか、このりんごが実ったのだなとりんごを手で撫でた。

夢の木の根元にはやるべき事が書かれている。その中に、「英語以外の教科も教養として身につける」とあった。これがわたしの人生で無駄に乱打してきたことで、遠回りの原因でもあった。近道が良いとされていた周りの価値観とずれていたこともあり、理解を得るのは難しく、ただ自分を信じて打ち込むものだった。

でも、これである!この乱打、無駄に打ち込んだメインテーマから逸れた勉強や出会い、経験が40を過ぎて一気に繋がり始めたのである。

今までは何の役にも立たず、気にも留めなかった足元に転がった無数の点が、線で繋がり、わたしを支える根となっていた。

家族での食卓、おもてなし、介護、吹奏楽、祖父母、お菓子作り、水泳、アメフト、ボディービルディング、シャンソン、ジャズ、スキー、海で泳ぐ、陸上競技会、下北沢、カフェめぐり、エスニック料理、リバーフェニックス、雑誌タッチダウン、人間学、雑誌スクリーン、映画、美術館、ビートルズ、漫画、電車、釣り、キャンプ、紙飛行機、ドライフラワー、流木、山菜採り、北海道、山登り、さくらんぼ、ダンス、ピアノ、農業体験、ブラスバンド、庭づくり、BBQ、祖母の茶道、雑誌淡交、父に連れられて行ったスポーツ観戦、野球、サッカー、ホッケー、相撲、花のいけ方、絵日記、バドミントン、カーネギーホール、一人旅、友達、恋愛、アルバイト、デニーズ、ホームステイ、飲み会、CM撮影、車内販売員、世界辞典、食べ歩き、器、図書館に入り浸る、出版業、絵を描く、縄文土器、ヴィンテージ食器、病気、カレー、億万長者、シリコンバレーの人々、中国、ドイツ、カナダ、メキシコ…

書き出したらキリがないほどの打たれた点。

この多くはその時の進路とは直接関係のないものである。そして、わたし自身が特別な興味を持たずに、家族が関わっていたのを近くで見ていただけのものもある。梅干しを漬けるがまさにその一つ。自身が手を動かしたわけではなく、毎年の行事としてなんとなく工程を記憶していて、大人になって青梅を頂いた時に、「漬けてみようかな」となった。

人と話していても、広く浅く手をつけたことが輝く瞬間がある。どこの国から来た人でも、共通の話題を見つけられると距離はすぐに縮まる。

物理的な繋がりだけでなく、精神的な繋がりも感じられている。

公共の場で焦ってイライラしている人に出くわしても、あの人は急ぐ理由があって、もしかすると家に介護を必要とする人がいるのかもしれないと過去の体験から想像できる。"after you"お先にどうぞ、祖父が常に言っていた"思いやり"という言葉もここに繋がる。

なぜ40過ぎまで点と点は繋がらなかったのだろう。 気がつかなかったのだろう。これが「年の功」というものなのか。これを周りに伝えなければならないと思うのもお節介なオバ心なのだろうか。

そうだとしても、これが過去からのギフトであると伝えたいし、無駄な経験や出会いは一つもないと言い切れる。足元の根はわたしが生きている限り腐ることはない。