玄関のドアが夏の暑さで開かなくなることも、お風呂場のひび割れも、電気が付いていなくてランプで過ごす夜も、風の強い日にフェンスが飛ばされないようにマジナイをかける日々も、全て私たちの日常。
不満はなく、むしろ十分なぐらいラッキーであると思う。
北カリフォルニアは家が欲しくてもなかなか買えない状況で、6年前に購入した私たちのこの中古物件も何人もの人が落札希望を出していた。我が家の提示額よりも多く支払う人が数人現れ、不動産屋さんは落札は厳しいと言っていた。それでも、諦めなかった主人は、家のオーナーにお手紙を書いた。そのお手紙が奇跡を生み、今こうしてこの家で私たちは暮らしている。
暮らせているだけで温かく、有り難く、文句の一つも出てこない。
段ボールの食卓
朝、ぽろっと涙が出ることがある。この家に入居した日の初めてのご飯を思い出して涙する。
主人も私もスーツケース1つでアメリカにやってきて、アメリカで出会った。
出会った時、私はサンフランシスコのチャイナタウンにあるワンルームに引っ越し先を決めていた。各階に共同キッチンがあり、中国人高齢者住宅と呼ばれている物件だった。アメリカでインターンをしながら、中国にも留学しているようなその環境に惚れてしまった。
そのワンルームへ引っ越した時、慣れた手つきで段ボールの上に彼の家から借りてきたダイニングテーブルのエクステンションを乗せて食卓を作った。
「日本の段ボールって丈夫で最高ですよね」と手伝いに来た彼は日本の段ボール愛を語っていた。
この人も段ボールの食卓を経験してきたのだなぁと思った。
「精神的に裕福な家庭を築きたい」
それが主人の決め台詞だった。
子供の誕生、永住権、家を構える。
どれも平坦な道ではなかったけれど、いつかネタになるねと笑って来た。
日の当たらないカビと格闘したアパートから、この家に引っ越してきて、まだ何もないリビングでオムツをつけた息子達が走り回った。
主人と慣れた手つきで、段ボールをひっくり返して、ゴミ袋のテーブルクロスをかけて食卓を作った。
その食卓で、アパートで作ってきた海苔巻きを家族で頬張った。
主人が天井を仰ぎ、
「十分すぎるよな」とつぶやいた。
同じ事を考えていた。
涙を隠すのに必死だった。
主人も私も幾度となく段ボールの食卓を経験してきたけれど、あの日の食卓は今までで1番の仕上がりだったと思う。
あの日を思い出すと、心からぬるい涙が流れ落ちる。とても心地よい涙が。